花の散歩道
花がもつ魅力についてのワンポイント情報♪♪
花の散歩道 ⑤ 《花の世界》
[2] 花の造形美術
時代をこえて、地域をこえて人々に愛されてきた「花」。 人が「花」を造形としてあらわし始めたのは、いつ頃からなのか・・・・古今東西の文化のなかに、「花」をめぐる造形美術の歴史をちょっとのぞいてみましょう。
多くの文明が誕生した後、人は花を造形美術として表現しました。 メソポタミア、エジプト、クレタ、ギリシャ、インダス、漢、飛鳥・・・・・。 たとえばメソポタミアのウル王朝初期、ジュブ・アド王妃は花や葉をかたどった金製の頭飾り(人造の花)をつけました。 およそ4500年前のことです。
また、エーゲ海に浮かぶクレタ島のファイストス遺跡から出土した壺、紀元前1,900~前1,700年ごろのカマレス様式の土器には、白ユリのような花文様などがみられます。
日本では、6世紀末ごろに飛鳥寺の屋根や仏像の台座に蓮華が花ひらきました。 これが日本における造形美術の始まりとされています。
蓮華とはハスの花ですが、古代インドではハスの花は世界の創造に関係している重要な花であり、インドに誕生した仏教がアジア各地に広がって、ハスの花=蓮華は「仏教・浄土」を象徴する花となります。
そして、ハスの花=蓮華は仏教美術の重要なモチーフとして、仏像の台座や仏画にくりかえし表現されてきました。
中国では、文人画で描かれる“ランの花”が隠者(世俗世界をはなれた人)の「理想」とされました。 一方、西洋において“白ユリ”は、聖母マリアの「純潔」を象徴するものでした。
また、ルネッサンス期の有名なボッティチェリ(Sandro Botticelli, 1445~1510)の『春』では、女神たちのもつバラは「婚姻、豊穣」などを象徴したといわれています。
このように近代以前の時代では、花は何かを象徴するものであり、あるいはある種の呪術的な意味をももっていました。
近代になってからは、画家は花そのものを絵の主題にして描いています。
天才レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci, 1452~1519)が花を描いたのは、解剖学的関心からだったといわれています。
16世紀末から17世紀初めには、フランドル(現在のベルギー、オランダ)に「花のブリューゲル」と称され活躍した画家ヤン・ブリューゲル(Jan Brueghel, 1568~1625)もいました。 ヤン・ブリューゲルは数多くの花の絵を描いています。
しかし、花の美しさを純粋に描きはじめたのは、19世紀末に印象派の画家たちが登場してからになります。 モネ(Claude Monet, 1840~1926)の『睡蓮』やゴッホ(Vincent Gogh, 1853~1890)の『ひまわり』などに代表されます。
日本では15~16世紀以降になり、長谷川久蔵(1568~1593)、尾形光琳(1658~1716)、伊藤若冲(1716~1800)などの画家が花々をあでやかに表現しました。
このように花の造形美術の歴史をみると、花のもつ意味は時代によっても民族によっても違っていて、時代や社会の変化にゆさぶられながら、その時代や社会を映しだしていることがわかります。
西洋では、絵画の流れとは別に、花の美しさやその華やかさが美術品や工芸品の発展に主要な役割をはたしてきました。
日本でも絵巻物、屏風絵や襖絵、浮世絵、また工芸品や着物の文様などに好んで用いられ、豪華絢爛、あるいは繊細優美な装飾性ゆたかな花の造形美が生みだされています。
長い年月をかけて、「花」は美術作品や工芸品の題材やデザインとして表現されながら――人の手による花の創造は広まり――花の美が深まったともいえるでしょうか。