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       花の散歩道

 

     花がもつ魅力についてのワンポイント情報♪♪



    花の散歩道    《花の世界》 


[3] 描かれた花たち ②

日本の画家が絵画の表現でもっとも関心をよせたこと――、それは「季節感」ではないでしょうか。 その季節感を絵画に表現するために用いられたのが「花」であり「草木」でした。 日本の古画では「花」は季節の象徴ともいえるようです。

 

では、日本での絵画と季節感との親密な関係は、いつ頃からできたのでしょうか。

それは平安時代後期(10~12世紀)の和歌文学を背景として『やまと絵』がさかんに制作されたなかで形成されていきます。 

それ以前の飛鳥時代から平安初期にいたる3世紀の間は唐の絵画の模倣と消化の時代でした。 中国唐代の絵画は仏教絵画と人物画が中心で花鳥はまだ文様としてさまざまな工芸品を飾っていたにすぎなかったのです。

 

右の「螺鈿紫檀五弦琵琶(らでんしだんごげんびわ)」は、宝相華とよばれる様式化された花々が、琵琶の背面いっぱいに咲きほこるように表現されています

やがて平安時代後期になると、障子や屏風に日本の自然風物が描かれることが多くなり、これが『やまと絵』とよばれるようになって発展していきます。 題材のほとんどが和歌と結びついた四季折々の景物で、四季絵、月次絵(つきなみえ)、名所絵などがあり、どの画題にも「花」は欠かせないものでした。

梅、桃、山吹、藤は春の季節に、卯の花、菖蒲は夏の季節に、秋には萩、薄(すすき)、女郎花(おみなえし)、菊に蔦(つた)や紅葉(もみじ)などが主に描かれ、冬は松や竹に積もる雪で表現されました。

 

鎌倉時代(1185-1333)になると中国宋代に発展した『水墨画』が伝わり、南北朝時代(1336-1392)からは日本でも描かれるようになります。 そして室町時代(1393-1573)以降からは『水墨画』が『やまと絵』とならび、時代の潮流にのって日本絵画は豊かになりました。

 

右の秋冬山水図(しゅうとうさんすいず)は雪舟(1420推定~1506)の代表作品です。 雪舟は中国で水墨画を学び、帰国後日本の自然の美をもとめて全国をまわり、日本風の水墨画を完成させました。 山水画家としてのイメージが強い雪舟ですが、花鳥画や人物画なども描いています。

山水の四季の変化を表現するものとして「四季山水図」があります。 この四季山水図の屏風が室町時代からさかんに制作されて、やがて金碧障屏画(きんぺきしょうへいが)《金箔を貼り濃彩を施した襖や屏風》に四季の花鳥草木を春から冬へと配する「四季花鳥図」や「四季草木図」へと応用されていきました。

下の写真は狩野永徳(1543~1590)が描いた「四季花鳥図屏風」で向かって右から春夏秋冬の景物を描いたものです。


 

四季のなかでもっとも好んで描かれたのは、とくに秋。 それは、日本の花鳥画がもっとも大切にした季節でした。 

菊や萩など秋草の風情にくわえて、紅葉の美しさは花と同じ価値をもって描かれていくのです。 

春には桜、秋には紅葉というように―――。 

 

江戸時代中期になると、奇想の画家として名高い伊藤若冲(1716~1800)が活躍します。

百合(ゆり)、向日葵(ひまわり)、牡丹(ぼたん)などの花で自己の美意識を表現しました。 

 

動植綵絵三十幅のうちの「牡丹小禽図」――鋭い写実とあでやかな装飾性が、それまでの花の表現や季節感表現の枠をこえて、鮮烈な印象をあたえています。 

 

 

 

江戸時代後期では、浮世絵のスーパースターとして活躍した葛飾北斎(1760~1849)と歌川広重(1797~1858)が、ともに数多くの花鳥画をのこしました。 奇をてらわない素直な表現で描かれた花鳥画は、日本人の花によせる優しい感情を物語っているようです。


また、同時代には、酒井抱一(1761~1829)が江戸琳派の創始的絵師として活躍しています。 抱一の数ある花鳥画のなかで代表作のひとつにもあげられる「夏秋草図屏風(なつあきくさびょうぶ)」の秋の画面――「季節感」表現の極致ともいえるでしょうか――吹きすさぶ風のなか、今にも飛んでいきそうな赤い蔦(つた)の葉。 葛(くず)や薄(すすき)など秋の草花の寂しげな風情にもまして、風の音やあたり一面の冷たさまでも伝わってきます。 抱一は、江戸の向島百花園で当代一流の知識人たちと交わるなかで、このようなすぐれた作品を生み出していきました。

 

 日本では桜の“はなやかさ”を楽しむと同時に、その“はかなさ”にも心をよせました。 『万葉集』に最もおおく詠まれている花は「萩」といわれていますが、 萩ははなやかではなく、むしろはかないイメージをも持ちます。 四季をもつ日本人にとっては、はなやかではない花、花とはいえないような笹、松葉、紅葉なども花と同類でした。 さまざまな花に繊細な愛情をそそぎながら、季節感の表現に意をそそいだのも日本人ならではでしょうか。

 

春のこの時期、身近な花に目を向けてみると――花海棠(はなかいどう)、雪柳(ゆきやなぎ)、小手毬(こでまり)、沈丁花(じんちょうげ)、辛夷(こぶし)、木蓮(もくれん)、花水木(はなみずき)、菫(すみれ)、蒲公英(たんぽぽ)、白詰草(しろつめぐさ)・・・・・春の花は桜ばかりではないことに気づきます。 季節の花を感じること、気づくこと、そしてそれをとり入れることで、日々は彩られ豊かになっていきます。

 

私たち日本人は、四季折々の自然のなかで、その時々の花を五感で楽しむだけではなく、そこに時の流れを感じ、想いをはせる繊細な感覚を持ち合わせています。 四季に敏感な感覚をもちつづけているのも、このように長きにわたって描きつがれた草花によるものなのかもしれません。